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大年寺山・愛宕山 その3
・場所:仙台市太白区
・撮影日:2007.1.18
   コース:その1 長町1丁目〜門前道〜大年寺山〜仙台野草園
       その2 虚空尊堂〜千躰堂〜愛宕神社〜愛宕山横穴墓群
       その3 愛宕橋〜広瀬橋 長町1丁目 計2時間30分

R:愛宕大橋〜S:愛宕橋〜T:宗禅寺〜U:宮沢橋



愛宕大橋  1975年に愛宕大橋が開通
愛宕大橋 親柱 龍を象っている。





愛宕橋

1900年に仙台で最初の吊り橋として佐伯三郎が架けたのが、最初の愛宕橋である。渡し賃5厘をとった。
1915年に、コンクリートの橋桁を持つ木橋が架けられた。
1935年に鉄筋コンクリートの橋が架けられた。
1975年に上流側に愛宕大橋が開通すると、愛宕橋の車通り、人通りは少なくなった。
2000年に橋を架け替 長さ102m、幅12.8m









愛宕堰  七郷堀の取水口があります
若林側からの撮影



宗禅寺  500年以上続く古刹で、伊達氏以前の領主、粟野氏の菩提寺
山門


本堂


鶏塚と呼ばれている石碑
「卍不是人間之搭」(これは人間の墓ではない)
   1673年(寛文13年)敬白  庄子太郎左衛門




宮沢橋  橋が架けられる前は渡し舟で、最初の渡し守だった林藤助は山形藩の隠密だったという。明治15年簡単な板の橋が架けられ、有料だったが、昭和13年仙台市に寄付され無料となった。
 夏の灯篭流しの時は若林側から灯篭を流します






 鎧淵 W−1  精好仙台平(せいごせんだいひら)
 郡山堤  らくうしょう
 橋姫明神  日本初のコンクリート橋跡



鎧淵

古戦場跡
 根岸と河原町を結ぶ宮沢橋の下流、武道館側あたりの河原一帯を鎧淵といい中世の古戦場跡です。
 800年前、源頼朝の鎌倉軍は、平泉の藤原泰衡を攻め滅ぼすため大軍で東(あずま)街道を北上し、この鎧淵で戦いが行われました。平泉側は榴岡に本陣を敷き、広瀬川を前線として鎌倉軍を迎え撃ちました。このとき長町の住民もかり出され、鎧淵に乱杭を打ち、川底には大網を張り巡らして防塁を築き、鎌倉軍の渡河に備えた。




W−1 精好仙台平
(せいごせんだいひら)
 通称「仙台平」と呼ばれる宮城県仙台市特産の絹の袴地
 江戸時代の中期頃に京都から仙台に伝わったといわれね仙台伊達藩の保護のもとに発達した。
 張りがあって固くなく、しなやかな独特の風合を持ち、皺になりにくく長い年月その良さの変わらない袴地(はかまじ)である。
国指定−重要文化財
詳しく知りたい方はこちらへ
http://sendaihira.jp/kenri.html

らくうしょう
(ヌマスギ)
 以前ここに宮城農学校の校舎があり、このヌマスギは玄関のそばに植えられていた。正式には落羽松といい、教材としてアメリカから輸入された。ヌマスギとしては県下一の高さといわれている。






郡山堤  鳥の観察適地 昔はボート屋さんがあったそうです。
若林側から撮影



橋姫明神  橋供養の碑と小さな祠 人柱供養
 今は広瀬河畔通りが走っていますが、昭和50年以前ここは生そばの老舗南部家さん(現在長町7丁目で営業)の敷地で、石碑と祠は土地収用のときに南部家さんが仙台市に寄贈されたものです。




日本初の
コンクリート橋跡
 初めて橋が架けられたのは寛文8年(1668年)
 江戸時代は永町橋と呼ばれ、その後何度か流された。
 明治42年(1907年)日本で最初のコンクリート橋となり、広瀬橋と命名された。





旧永町橋の礎石



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