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宮城の遊歩道、ハイキングコース
多賀城史跡巡のんびりコース その2
約7q 
歴史博物館を基点に
 その1:@東北歴史博物館・今野家住宅→A多賀城廃寺跡→B市川橋遺跡→C南門跡→D多賀城碑(壺の碑)→E壺の石文道標→F南大垣後→G旧街道の道標→H伏石→I貴船神社(樫の木)→J多賀城神社(北畠顕家)→K多賀城政庁跡→
 その2:L多賀神社(延喜式内社後)→M六月坂地区役所跡→N加瀬沼→O北大垣(木道)→P荒脛神社→Q陸奥総社宮(老杉・白木蓮)→R東門跡→S大畑地区建物跡→(21)作貫地区役所跡→(22)多賀城あやめ園→(23)浮島神社→(24)館前遺跡




絵:多賀城観光協会パンフレットを使用
L 多賀神社(延喜式内社跡)
 長寿の神、夫婦和合の神としての信仰があります。神社の前にぶら下がっているのは小型の「タガ」です。
 夫婦の仲を「タガ」でがっちり固める多賀神社です。
2006.4.28


2009.1.17


2006.4.28


M六月坂地区役所跡
 
2006.4.28


N 加瀬沼(利府町、多賀城市、塩竃市)
 江戸時代に堤防が作られ用水地としての役割があった広大な沼。現在では沼周辺に整備された公園に桜の広場、ピクニック広場、炊事施設が作られ、気軽に自然と親しめる憩いのスポットとなり、家族連れも多い。冬には白鳥が飛来し、四季を通して訪れる人が多い。



2009.1.17


2009.1.17


2009.1.17


コブハクチョウ(瘤白鳥)2009.1.17


O 北大垣跡(木道)
 蝦




2009.1.17


 P 荒脛神社(あらはばきじんじゃ)
 蝦夷[えぞ]の神様が祭られ、大和朝廷の蝦夷侵攻により、現在の神社になったといわれている。脛巾[はばき]を奉納すると、下半身の病気やけがに御利益があるという。
 



Q 陸奥総社宮
・場 所:宮城県多賀城市市川字総社25
・説 明:社殿は、享保19年(1716)の建立で、立派な日吉造りである。いままで見てきた総社は、いずれも5社か6社を合祠したものだったが、陸奥総社はなんと100社が祀られている。当時の威勢がしのばれる




白木蓮 見頃は4月の第3日曜日頃
 


 

R 東門跡








S 大畑地区建物跡

大畑のいちょう
・多賀城市文化財指定番号 17
・樹高:25.4m、胸高周囲:3.0m、・推定樹齢:180年
・場所:市川字大畑地内 ・所有者:多賀城市
・説明:多賀城政庁跡の北側に位置する大畑地区に、旺盛な樹勢を保っています。大畑のイチョウは、雌株で、直幹に生育し秋になると落果した種実(銀杏)を採取しに来る住民の方も多々いるそうです。前の所有者である方の屋敷の境界沿いに燃えにくく、防火樹の役割をもつヤブニッケイやツバキと共にイチョウも植えられており、火伏せの木として、また境界の目印として植えたものと思われます。


A@ 作貫地区役所跡


2009.1.17




作貫の木蓮
 

AA 多賀城跡あやめ園
 多賀城跡の一角にあるあやめ園は、250種、150万本のアヤメやハナショウブなどが咲き乱れ、年間5万人もの観光客が訪れる人気のスポットです。
 あやめまつり:6月下旬〜7月上旬、駐車場:有
小雪路


AB 浮島神社・融神社
 三大枕詞の聖地 浮島地区にある浮島神社であるといわれていますが、現在は不明です。この歌では、「き」が三度くり返され「憂き」にかけた言葉遊びともなっています。
  塩竃の前に
きたる島のきて思ひのある世なりけり
   新古今集・伝山口王女




AC 舘前遺跡へ

@ 東北歴史資料館


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