宮城の遊歩道、ハイキングコース
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長町歴史散策 その1 |
その1:橋姫明神〜広瀬橋〜枡形道路〜門前道の道標・多賀神社道案内
〜十八夜観世音堂〜青果市場跡〜普門寺跡〜代官所跡〜笹谷街道入口〜秋保電鉄跡
〜舞台八幡神社・蛸薬師〜長町小学校前笹谷街道辻標
その2:東街道〜大年寺惣門〜福聚院の穴薬師(瑠璃光殿)〜宮沢橋〜宗禅寺の鶏塚
〜宗禅寺淵〜鎧淵〜らくうしょう(落生松)〜郡山堰〜根岸の辻標〜兜塚
〜旧宮農正門跡〜木流し堀・木場跡〜街道の辻標〜郡山堀 |
その1

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橋姫明神 |
橋供養の碑と小さな祠 人柱供養
今は広瀬河畔通りが走っていますが、昭和50年以前ここは生そばの老舗南部家さん(現在長町7丁目で営業)の敷地で、石碑と祠は土地収用のときに南部家さんが仙台市に寄贈されたものです。 |

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広瀬橋 |
日本初の鉄筋コンクリート橋として明治42年に架けられた。 |
旧永町橋の礎石

旧永町橋




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枡形道路 |
広瀬橋(永町橋)は仙台城下への入口として防衛上の重要地点であった。このため、広瀬橋から長町の本通りまでまっすぐの一本道ではなく、道路がわざと曲げて作られた。見通しを悪くし、敵が攻めにくくすることが目的 |

昭和40代半ば頃のスケッチ

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門前道の道標・多賀神社道案 |
大年寺にお参りする門前道の入り口
「門前道」と「多賀神社道案内」の2基の道標 |


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十八夜観世音堂 |
1059年開基の常蔵院(廃寺)から残る観音堂。
大年寺の建立に伴い1697年現在地に移転
仙台三十三観音の第32番札所
835年慈覚大師作と伝わる聖観音が本尊
現在の堂宇は1789年の建築 |

835年慈覚大師作と伝わる聖観音
2008年から仙台市博物館に保管 |
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写真 河北新報 2008.9.10から |
八本松市民センターに掲示
八本松デジタル写真館 |
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撫で牛
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青果市場跡 |
昭和38年まで青果市場だった。現在の卸町に移転
パシヒィクマンション五橋 フレッシュフードミリヤ |

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普門寺跡(ふもんじあと) |
江戸時代の寺子屋 明治6年長町小学校発祥地 |
旧参道入口の理容ハサマ

T字路あたりが普門寺跡

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蛸薬師 |
神社の斜め向かいの辺りは昔は大きな池で、ある時洪水があって、水が引いたあとを見ると、池の中の島に薬師様の像が蛸に吸い付かれて流れ着いていた。それで池の西側にお堂を建てて薬師様を安置し、町内で毎年5月1日にお祭りをすることになった。
薬師瑠璃光如来像は、イボにご利益がある。
耳を患ったときは、穴のあいた「カラワケ」の小皿をつないで供えるとご利益があるといわれ、お堂には「カラワケ」が奉納されている。
蛸の絵馬がたくさんかけてあります。 |

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舞台八幡神社 |
舞台成功、芸能関係者の信仰を集め、祈願成就に御利益があるといわれています。 |

鳩の留め瓦

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笹谷街道入口 |
仙台から笹谷峠を通って山形へ抜ける笹谷街道の起点である。
折れて短くなった笹谷道(ささやみち)の道標が建っている。
当時の西多賀村や生出村、秋保村までの里程が刻んである。 |
二口・笹谷街道の分岐点 奥州街道と最上・出羽を結ぶ
西多賀村 二十八? 生出村 三里三十? 秋保村 七里十? |
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笹谷街道コミュニテー通路 回路灯に笹谷街道入口

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秋保電鉄長町駅跡 |
現在はたいはっくる、その前は宮城交通バスターミナル |


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長町小学校前 笹谷街道辻標 |
長町小は普門寺で開校、その後現在の七十七銀行長町支店の右向かいあたりに移転し、大正12年に現在地となった。
市制88周年を記念し、根岸の辻標とともに長町・笹谷街道の辻標が建てられた。 |


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