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宮城県の遊歩道、ハイキングコース
浦戸めぐりハイキングコース
・場所:宮城県塩竈市浦戸
・撮影:2004.9.24
・説 明:浦戸諸島は、日本三景松島の湾内に点在する桂島、野々島、寒風沢、朴島の四つの島からなっています。その風景はまさに松島そのものです。
 島々には様々な伝説、史跡の数々が残されています。春の潮干狩や菜の花畑、海水浴、歴史や伝説を訪ねる「菜の花と潮騒の道」東北自然歩道(新奥の細道)(環境省・宮城県)ハイキングが楽しめます。
・コース:



その1:桂島
その2:寒風沢


スタート 桟橋〜六地蔵へ

六地蔵手前の高台から桟橋方向を望む





六地蔵



山の神と道祖神が祭ってある神社
 白い布は安産祈願の腰巻きです。束になっていました。



山の神と道祖神


稲刈りが始まりました。


しばらく行くとお墓入口に道標
右は化場?、左は宮戸? 私では解読区不能



標識に沿って進むと 元屋敷浜 潮干狩りの場所




寒風沢海水浴場 波穏やか

寒風沢海水浴場


砲台場跡、新明社分岐




神明社


砲台場跡 俯瞰(ふかん)


砲台場跡地


日和山展望台 帰路の船から

日和山展望台 帰路の船から


十二支方位石
塩竈市指定文化財




          海運を支えた風向計
 奥松島の絶景が四囲に広がる。
 春は名のみの海風が痛い。塩釜の港を出た連絡船は、四十分ほどで寒風沢島の桟橋に接岸した。
 島で民宿を営む元塩釜市議の伊豆俊雄さん(81)が語る。
 「この島は松島湾と外海の境にある。島を境に、波の状況もがらりと変わるんだ」北西の風が吹くと湾内は荒れ、外洋は静まる。
 南東風だと沖波が騒ぎ、湾内は落ち着くという。
 江戸時代、島には天気予報をなりわいにする人がいた。風向きや雲の動きを読み、停泊中の船に知らせて歩いた。彼らの観測機器″が日和山という小高い丘に残っている。「十二支方位石」と呼ばれる。
 日和山は、桟橋から歩いて十分ほど。十二支方位石はすぐに見つかった。高さ80p、直径45p程度の石の円柱だ。「天保十二丑年八月木村又兵衛之建」とある。1841年だ。盤面に子(ね)から亥(い)までの十二支と、東西南北の方位が刻まれている。真北が子、真南は午(うま)、真東は卯(う)、真西は酉(とり)と重なる。
 島には徳川幕府の出先があった。福島地方の天領で取れたコメが、阿武隈川経由で寒風沢島に集荷されたからだ。当時の塩釜港は水深が浅く、大船の出入りに適さなかった。そこで、外港の寒風沢島に白羽の矢が立った。仙台藩の余剰米も、「部は寒風沢島から江戸へと回送された。島に集まるコメの量は七万八万石に達したともいう。蝦夷(えぞ)地の物産を積んだ北前船、瀬戸内の海産物を載せた伊勢や尾張の船も来航した。紀州の船が灘の酒を運んでくることもあった。方位石の下に広がる何面の海に、かつては大船が舷を接して浮かんでいた。
千石船、二千石船だけでも年に二百隻は入泊したという。天気予報屋もさぞかし繁盛したろう。
 日和を待つ水夫たちは、夜な夜な島の酒場に繰り出した。遊女といい仲になる者もいた。方位石の傍らに「縛り地蔵」が立つ。出航を遅らせたい遊女が、逆風が吹くのを祈願したと伝えられる。薄幸の女と船乗り。方位石を見つめる縛り地蔵。人情小説の題材になりそうな風景ではある。
 「方位石の周りはヤブツバキの群落で、花の時季はそれは見事なもんです」と伊豆さん。付け加えるなら、三月の宵にはシラウオ漁のいさり火が島の周囲を埋める。猫が日なたぼっこする岸壁に、昔日の面影はない。すべては春の夜の夢であったかのようだ。
参照:文 生活文化部・野村哲郎
   (河北新報朝刊「ふるさと博物誌」2005.3.6)


縛り地蔵
 
昔、寒風沢の港が栄えていたころ、島には遊郭があって、遊女たちがこの地蔵を荒縄でしばり、男達の船出を止めようと逆風祈願をしたと伝えられている。現代風に縄はPPロープでした


昔、寒風沢の港が栄えていたころ、島には遊郭があって、遊女たちがこの地蔵を荒縄でしばり、男達の船出を止めようと逆風祈願をしたと伝えられている。


造艦の 塩竈市指定文化財


開 成 丸






市営の汽船




寒風沢島を後に


その3:野々島

その4:朴島